ABOUT CREST 2019.10.24

「ものづくり」を次世代へ。看板施工というレガシーの今までと、これから。

屋外広告は2007年の0.4兆円をピークに、2011年に0.3兆円に市場が縮小。以降、2018年まで横ばいが続いています。ネオンからLEDなど時代に応じて表現を変えながら維持存続を図る看板業界。スマートフォンで店舗を探す時代に、今後、看板業界はどうなるのでしょうか。クレストが信頼を寄せる看板施工業者の一社、有限会社大翔 代表取締役社長の越中氏、業務主任の富澤氏に、屋外広告のL(レガシー)の世界、看板施工業をクレスト阿部が深掘りしてお伺いしました。

(構成・写真 渡邉奈月<ICPコンサルティング>)

有限会社大翔 代表取締役社長 越中 茂 氏(写真 中央)

群馬県出身。アルバイトから独立し、足立区に有限会社大翔を設立。鉄道会社、予備校、大手飲食店等、経営者兼看板施工職人としてあらゆる看板を世に送り出す。時代の移り代わりとともに、野立て看板、ネオンサイン、チャンネル制作等、看板制作を一手に引き受ける。

 

有限会社大翔 業務主任 富澤 恒雄 氏(写真 右)

群馬県出身。玩具製造会社の役員から1996年に看板職人に転身、有限会社大翔へ入社。業務主任として、夜通しや悪天候もものともせず、看板施工の現場を一手に取り仕切る。年齢層、経歴、国籍がさまざまな大翔の社員を盛り立てるベテラン職人。

 

株式会社クレスト 取締役 サイン&ディスプレイ事業部長 阿部 一久(写真 左)

2002年よりクレストにデザイナーとして参画し、現在クレストとしては最も社歴が長い。得意なビジネス領域はクリエイティブな二次元デザインと、交通広告関連のプロジェクト・マネジメント。クレストに人生を掛けて業界を変革するために奮闘中。

 

アルバイトの看板職人が起業。屋外広告全盛期に百社のコンペを勝ち抜く

 

阿部:この前(注:2019年8月)の台風15号は、大変な風害をもたらしました。大翔さんが手がけた新宿の看板は、無事だったようです。

 

越中:草加の大型看板も無事だったようでほっとしました。気になって(台風が上陸した)午前4時ごろに目が覚めて、朝一番で見に行きました。事実上、台風15号が耐久試験になりました。台風15号では、東京電力の鉄塔や、羽田空港の足場など、大手企業の造作物が大きな被害を受けましたが、末端の零細企業が作った看板が被害を受けなかったというのは不思議なものです。

 

阿部:むしろ、それがよかったのではないでしょうか。私たちクレストも、大翔さんと同じ末端の企業ですが、一末端の企業として、「レガシーマーケットイノベーション」という壮大なテーマを掲げた取り組みをしています。音楽業界ではダウンロード販売の登場によって、CDのプレス工場の経営が厳しくなっています。このように他の業界から参入したイノベーションにレガシー=古びた産業が取って代わられることがありますが、クレストが目指すのは、レガシー産業自らイノベーションを起こす取り組みです。

 

関連記事:【対談】看板にイノベーションを起こす理由~「場」に付加価値をつけていく。クレストが見据える、店舗ディスプレイの10年後~

 

阿部:そこで、今日はクレストがお世話になっている看板施工業者の大翔さんに、詳しくレガシーの世界をお伺いしたいと思っています。そもそも、越中社長が看板屋をはじめたきっかけは?

 

越中:群馬から出てきて、東京のデザインの専門学校に通っていた時のアルバイトがきっかけです。看板屋をやるつもりはなかったのですが、気がつけば自分で看板屋を始めていました。

阿部:いきなり社長ですか!

 

越中:ええ。社長とはいえ1人か2人でやっていましたから、単に現場の人間が独立した感覚です。最初は貸し看板がメインで、予備校の看板を千葉県や埼玉県の高校の前に設置する仕事をしていました。当時は予備校の全盛期で、1回設置すると、夏期講習や冬期講習の時期には看板内容の変更があって、さらに毎年契約を更新していたので、継続して売上がある良い商売でした。今は予備校業界が縮小しているのでそういう看板はなくなりましたね。

 

阿部:地主との用地交渉からやっていたのですね。面倒ではなかったですか?

 

越中:いえ、一度その地で商売を始めると、媒体が増えていくので、意外と経営は楽でしたよ。

 

富澤:今でも道路沿いにある野立て看板は板面を変えて1年契約で回しています。A社様の渋谷の看板も月に2回板面を変えて…

越中:渋谷の一等地ですから、広告の元受け会社は、1か月に1000万ものご予算をいただくようですね。また、ひと昔前といえば、タバコの広告がビルの上によくありましたね。

 

阿部:他に、越中社長の独立当時に流行っていたものはありますか?ネオンとか。

 

越中:ネオンは原宿にファッションの店が多くできて、2、3万円で制作したものが2、30万円で売れていました。あとはテレビ局B社様が原宿に出店したタレントショップもよい商売になりました。プラスチックの階段の中に、ネオンを敷き詰めた派手なものを作ったりして。言い値で受注できました。一番良かったのは自動車会社C社様が販売店の名前を一斉に変えたときでしょうか。埼玉地区全部の看板制作を手がけさせていただいて、1か月半で売り上げが1億円です。全国から100社くらいの業者に声がかかり、広い敷地にC社様の担当者を呼んで、各社が作った実物大の看板サンプルをズラッと並べて選定していました。

 

阿部:すごいですね…!私は全く想像がつきません。

 

越中:1週間で4店舗もの看板を変える計画で進めていました。ある程度の部材は支給されるので、我々は鉄骨を組んで看板を組み立てることに徹します。店舗も3、4日休みになって、駐車場を借りて組み立てていました。

阿部:鉄骨式の看板はあまり利益が大きくないと聞きますが。

 

越中:それが結構、良い予算をいただいていました。

 

阿部:なるほど。企業にとって、当時は看板に価値があったのでしょうね。

 

おもちゃ屋から職人に転身。ハードな仕事を24年支える「ものづくり」の魅力

阿部:富澤さんは大翔に入社される以前は何をしていたのですか。

富澤:おもちゃ屋です。大手の玩具メーカーを相手に超合金のロボットなどを作っていて。私が昭和51年に入社してからしばらくは業績が良かったのですが、次第にコスト競争になって生産拠点が外国に移るようになって売り上げが落ちてしまいました。最後は常務取締役までになったのですが、当時の社長と意見が合わなくなって辞めました。

 

阿部:それから大翔に?

 

富澤:そうですね、すぐ。前の会社を辞めた後ハローワークに行ったときに、「今までと同じ給料が欲しければ、職人以外ありません」と言われまして。でも大工や左官屋は何年も修行しなきゃいけない。そこで看板屋なら一日給料いくらで、それほど経験がなくてもできるから行ってみなさいと紹介されたのが大翔でした。そこで社長から「富澤君も(私と同じ)群馬?」という話から始まって、「来週からきてみたら?」とお世話になることになりました。

 

越中:うちの仕事は結構ハードだし、汚くなるからまずはやってみてから、という感じで。女性にもそういう方針ですね。

 

富澤:前の会社には24年いたのですが、来年の11月で大翔に入社してから同じく24年になりますね。

 

阿部:看板屋の仕事が嫌になったことはないのですか?

 

富澤:嫌になるくらい大変な仕事というのは多いですよ。台風の中で看板設置をやった時は大変でした。千葉での仕事で、砂の上に穴を開けてポールを立てようとしたら、強風と大雨で砂が流れて穴が大きくなってしまって。社長が自ら穴を開けていました。あの時の社長は60歳くらいで今の私と同じくらいだったのに現場でバリバリでした。台風の中で溶接したことも…。

 

阿部:それは危ないです!

 

富澤:もちろんゴム手袋しながらですが。私は下手でうまくくっつかなかったけど、社長はきれいに溶接していました。

 

越中:今はもうそういうことはないです。お客様も「今日はやめましょう」といえば、納得していただけますし。

 

富澤:(看板屋は)「作ったものが残る」というのが良いですね。

 

阿部:私もこの業界に入ったときはデザインをしていたので、「(自分で作ったものを)形に残したい」気持ちが原点になっています。(クレストが手掛けた)池袋のハンバーガーショップチェーンD社の看板とか、ずっと残っていると嬉しいですよね。大翔の作った看板で一番長く残っているのは何ですか?

※クレストと大翔で手がけた池袋駅の看板

 

富澤:私が手掛けた分だと銀座にあるコーヒーチェーンE社のネオン看板です。設置してからも何度か変更があるのですが、ロゴの文字が、豆文字からつなぎ文字に変わって取り換えるときは大変でした。一日半くらい現場に張り付かなくてはいけなくて、社長なんか道路で寝ていましたから(笑)。

 

越中:また当社では女性(二人)がよくやってくれています。

 

富澤:彼女たちは素晴らしいですね。年代的には阿部さんと同じで子供もいますが、それだけに責任感が強く、仕事への打ち込み方が違います。「もっともっと作業をやりたい」という気持ちが強い。(二人のうち)一人はあと塗装工程ができれば、看板制作に必要な作業が全部できることになります。

 

阿部:とても有望な人材ですね。看板屋は私たち含めて若い世代に対し「かっこいい、看板屋に入りたい」と思わせられていません。そんな中でも看板制作に熱意のある人間が現れたのですね。

 

富澤:西新井にあるショッピングセンターの「アリオ」はチャンネル文字の看板が多いのですが、ほとんど当社が手掛けています。そこへ、彼女たち自身の家族や親戚と行ったときに「あれは私が作ったもの、これも私が作ったもの」と言えるわけです。

 

阿部:自分の仕事を誇れるということですね。

 

富澤:つなぎの作業服を着て上半身はTシャツ姿。夏なんかレーザーがあるところは気温が40度くらいのですが、その中を自ら鉄板を運んで、自ら切って、自ら折り曲げて、はんだ付けまでする。頭が下がります。黙って一日中はんだ付けしている時もある。男性ではああはいかない。彼女たちは体を動かしてのもの作りが好きなんでしょうね。

 

時代とともに、利益率は低下。自社制作で切り抜ける

阿部:最近は、看板を見て店を選ぶという時代ではなくなりました。越中社長や富澤さんでさえ、飲食店はスマホで探しています。

 

富澤:飲食チェーンF社もだいぶ店舗を減らしてしまったし、飲食店が郊外の敷地に自身の一店舗だけ作るのではなく、複数の店舗がひとつの商業施設にまとまってフードコートを作るようになった。そうするとポールサインとか欄間看板はいらなくなる。文字看板だけで自分の店が分かれば良いと。

 

越中:それに表現方法がネオンからLEDが中心になって、今はネオン看板のサポートする業者や部品を探すのも大変になった。時代の流れに乗り遅れると苦しくなります。

 

阿部:さらに海外の業者が台頭して、価格競争が激しくなって市場の移り変わりが激しくなっていますね。

 

越中:利益率を考えると、4年くらい前から、看板につける文字も作り始めたのは正解でした。例えば、特殊な塗装は外注にすると結構な金額になるので、極力外注を抑えて自社ですべてを行うようにしています。

 

富澤:納期にも自社制作の利点があります。チャンネル(注:金属で作られた厚みのある立体的な文字)ひとつ失敗しても、自社制作なら2時間あれば修正品ができますが、外注だとそうはいきません。ミスが起きた工程を再度やりなおし、最終的に修正品ができるのに、極端なケースでは、一週間かかってしまいますからね。

 

越中:海外で制作するのもリスクがありますね。制作費が安く抑えられるのはよいのですが、通関が通らないなど、トラブルが起きやすく納期が読めません。

 

阿部:最近は利益率というのはだんだん少なっているのでしょうか?

 

越中:落ちていますね。売上自体は変わらないのですが、利益率が悪化しています。制作に関わる看板屋の職人の数も増えてコストがあがっているのが理由です。廃業する業者さんがいる一方、取り付けの職人は独立して増えて、業者が飽和状態になっていますね。

 

個性豊かな面白い仲間たちと、次の時代へ

阿部:看板屋を生業にする人が増えているのですか? 

越中:そうですね、年齢的には40代の人が多くて、20代、30代は少ないです。

 

阿部:(大翔にいる)吉沢さんも47歳くらいですね。よくやっていただいています。

 

富澤:彼はフットワークが軽いからね。

 

越中:人と接するのが得意な人もいるしね。

 

富澤:十人十色ですよ。うちはバラエティに富んだ人ばかりで面白いと思っています。

 

越中:かみちゃんなんか私より遅く来て先に帰っちゃう。でも彼は彼で絵だけで作れるのはすごい。いとうさんなんていやらしいほど細かいしね。他人が作ったデータでは切らない。自分が納得しないとね。こだわりが多すぎる。

 

富澤:そういう人たちがいるから、面白いんです。

 

越中:(富澤さんの)少し前くらいには北村さんも入社したね。

 

富澤:彼女も仕事ができる人でした。10年くらいいましたね。彼女は美術大学出身で、看板屋に来たのは「絵が描けそうだから」と思ったらしいです。でも実際入ってみたら全然違っていた。

 

越中:「看板屋が絵を描く」というのは私が若いころの時代まででした。昔はお客様へプレゼンするのに手描きのデザインを持っていくことがありましたよ。だから修正するのにも時間がかかっちゃって。今はパソコンですぐできるから楽です。

 

阿部:レジェンドとして、今後の看板屋業界はこうなってほしいとか願望はありますか?

 

越中:正直な話、難しいな。自分自身に(「こうなってほしい」という)意識がないと解釈しています。

 

阿部:看板屋の業界をずっと残していく上で、何か次世代へのステップとかを考えられているのでしょうか。

 

越中:ここ2、3年で息子に経営をタッチする段取りをしていかないといけません。富澤さんにうまくバックアップしてもらって助かっています、私が社長を辞めたら息子が「俺も辞める」と言い出すのではないかと心配で。

 

阿部:そうなると残念です。私たちは看板制作の案件を生み出すのが仕事ですが、大翔さんのような看板施工会社も潤し、雇用を生み出すことが使命だと思っています。クレストや業界が伸びても、その下請け会社が縮小や廃業に追い込まれるのは避けたいです。

 

富澤:今は社長がうまく社員をまとめています。しかし、これから息子さんが大翔の社長になると多くの社員にとって社長が自分より歳下になる。その時に息子さんを中心に会社を盛り上げていきたいです。阿部さんが言うように、会社を畳むのは簡単だけど、そうするとお客様や社員の家族、仕入れ先も大変なことになる。40代の社員が多いので会社としてはまだやっていけます。(社長が)工場に出てこなくても、週に一回くらい電話で報連相ができるようになれば、今は図面さえ渡せば仕事が流れていく段取りになっていますから心配ありません。(今後、承継も考えなくてはいけないが)、今は社長が元気すぎちゃうから。

 

越中:今でもほとんど毎日12時近くまで会社にいるからね。

 

阿部:越中社長は責任感が強いですし、使命感がおありなのではないでしょうか。70歳過ぎても現場の最前線にいるのはありがたいですね。

富澤:「人生100年」というから、まだ30年あります。大翔にはいろんな個性を持った面白い仲間がいます。これからも一緒に盛り上げていきたいです。

 

阿部:(大翔を)後世に残す意味で、富澤さんの言うように、息子さんを中心に一緒に盛り上げる輪に、クレストも一枚かませてもらえば嬉しいです。大翔さんとはこれからも仕事を増やしてお互いWIN-WINの関係になりたいと考えています。今日は貴重なお話をありがとうございました。